ここちょびのブログ

毎日頑張って働く独身女子に向けて、私の経験から、共感してもらえそうなこと、心がゆるくなるヒント、気持ちが楽しくなる何かを、ゆる~く書いていくブログです。

美しくない総合職女子は結婚市場では価値がない?

総合職を辞めたくて、

でも他にやりたい仕事もできる仕事も

思いつかず、

当時27歳の私が思いついたのは、

"そうだ、結婚して養ってもらえばいいんだ"

でした。

 

"新卒のピチピチではないものの、

まだ20代だし、学生の頃は

彼氏はすぐにできたし、

合コンに2,3回行けば彼氏ができて、

結婚までいけるでしょ。"

 

"数回合コンで可愛い女を演じて彼氏ができて

結婚して養ってもらえたら、

転職活動して変な会社に入っちゃったり、

年収が下がって後悔したりするリスクも

取らなくていいし、楽じゃん!!"

 

そう思いついたら善は急げで、

友達や同期の女子に合コンのセッティングをお願いして、

月に3回くらい合コンをする日々を半年ほど

続けました。

 

そして、わかったことは

自分の市場価値の低さ

でした。

 

全く美人ではないし、中の中の容姿ですが、

太っているわけでもなく、醜いというほどでもなく、

性格に癖もないと思っていたのですが、

まったくもって相手にされません。

 

"男性からくるのを待ってちゃだめだよ。

いいなと思ったら恥なんて捨てて自分から

食事に誘うんだよ"

と友達にアドバイスされ、

勇気を出して気になる人に次回のお誘いをしても、

 

■「日程はこちらからまた連絡しますね」と言われてその後連絡なし

■そもそも既読スルー

■「他に何人連れて行けばいいですか?」と合コンのセッティングに

すり替えられ、2人ではあっていただけない

 

ということが続き、

本当に凹みました。

 

"普通に転職活動して内定をもらう方が

私にははるかに簡単に思えるな"と思いました。

 

大学時代の同級生の男性に相談してみたところ、

■20代後半以上の男性が自分と同い年くらいの女性に合コンでわざわざ手を出さない。

付き合うと結婚を迫られるし、

そもそも若くないし、よっぽどいい女でなきゃ

男側にメリットが少ない。

 

■総合職女性は下手をすれば自分よりも

年収が高いし、プライドが傷つくし、

性格がきつそうで良いイメージがない。

 

■そもそも合コンに来る男性は遊びたいだけで

彼女を探している奴は少ないし、ましてや結婚相手を探しに来ている

奴なんていない

 

とのことでした。

言われてみれば、合コンで結婚につながる彼氏を

探そうと思ったのは間違いのような気がします。

 

しかしそれ以前に、総合職である時点で

よっぽどのいい女でもない限り

男性に良く思われないという意見に

愕然としました。

 

学生時代から努力して

やっと入った大企業で毎日懸命に

働いているのに

それが私の生き方の選択肢を一つ潰す

原因になるなんて。

 

頑張ってきたことがあだになるなんて。

 

努力が報われない現実に打ちひしがれてしまった

当時27歳の私は、

"女の人は、後天的な努力では結婚はできない"

"結局女の人は美しく生まれなかった時点で

他人に幸せにしてもらう選択肢はなくなる"

という結論に達して

絶望してしまいました。

 

"自分の人生なんだから他人に何とかしてもらおう

なんて考える方がおかしい。

自分らしい働き方を見つけて自分の口は自分でふさげ"

と言われてしまえばそれまでですが、

女の人にとって、

"自分は簡単に結婚できる側の人間ではない"という

現実に直面するのは結構キツイものです。

 

固定観念かもしれませんが、

私はどうしても女の人は男の人に愛される人の方が

価値が高いように思ってしまいます。

 

だから合コン惨敗続き、

総合職で男と同じような

仕事をしている私は

 

女として生まれたのに

間違った選択をして

生きてきたせいで

女として正しくない姿に

なってしまった

 

と思うに至ってしまいました。

頑張ってきたのに、

全てが裏目に出ているような気がして

今までの20数年間の

自分の生き方を

激しく後悔する日々への

突入です。

 

いつ間違えたのか、

どこが間違いだったのか、

これからどうすればいいのか、

毎日不安と後悔が頭から離れず、

そんな気持ちを抱えているおかげで

仕事にも真剣に取り組めず、

 

"なんでこんなに毎日悩みながら

生きているんだろう"

 

と毎晩のようにジメジメ泣いて、

同じような悩みを持つ人はいないのかと

ネットサーフィンばかり

していました。

 

そしてついに、

"悩んでいるだけではより

毎日が悪くはなっても

よくはならない。

動かなければ"

 

と一念発起したのは、

31歳を過ぎた頃でした。